分布3):局所的に冬鳥として渡来。北海道では旅鳥で、主に本州日本海側で越冬し琵琶湖までは普通に見られる。亜種ヒシクイよりも南のタイガ地帯で繁殖する(本文参照)。
冬鳥として寒冷な地域を中心に飛来するガンの仲間。嘴の先端付近にある黄色い部分が特徴的である。マガンよりも大きく、遠くから見ても存在感がある。ヒシクイとは近年別種とされることもあるが、分類には課題が多く文献によって扱いが異なる。
オオヒシクイの概要
希少度 | : | ★★★(やや稀) |
全長1) | : | 90-100㎝ |
生息環境1) | : | 湖沼、農耕地 |
学名2) | : | fabalis「ソラマメの(収穫時期に渡来する)」 |
英名 | : | Taiga Bean Goose「タイガで繁殖する、ソラマメの収穫時期に渡来するガン」 |
オオヒシクイの形態
亜種オオヒシクイと考えられる個体。
嘴は黒く、先端付近に黄色部がある。
脚はオレンジ色。
体サイズはマガンや亜種ヒシクイよりも大きい。
別個体。
翼は上部がやや白みを帯び、一方で初列風切や次列風切の大部分は黒っぽい。
ただし翼の明暗のコントラストはハイイロガンほど顕著ではない4)。
別個体。
別個体。
嘴の黄色部の面積が広いように見受けられる個体。
体サイズは周辺のオオヒシクイと大差なく感じられた。
このような個体もしばしば見られるが、要因は不明。
年齢の識別
幼羽では雨覆の先端が成鳥のように平らではないため、中雨覆先端の淡色部が直線状とならない5)。
(中雨覆の位置についてはハイイロガンのページを参照。)
また、肩羽や脇羽についても幼羽では成羽より先が尖るため、羽縁の淡色部が成羽のように直線状とならない。
幼鳥の写真は下記「山陰地方のヒシクイ類について」の項の写真を参照。
ただし、秋に渡来する個体ではこれらの違いが見て取りやすいが、越冬中に換羽が進むと成鳥との差はほとんどなくなるため、識別は難しくなる。
ヨーロッパの文献によれば雨覆の幼羽は通常春先まで残っているようだが5)、すべての個体に当てはまるかは不明。
なお、第2回冬羽でも少数の個体は中雨覆に幼羽を残すため、新羽とのコントラストが見られるという5)。
識別
嘴は黒色で先端付近に黄色部があり、独特の色彩であるため(ヒシクイを除く他種とは)識別しやすい。
ただし、嘴の色には個体差があり、黄色部が広い個体もしばしばいる。
嘴に泥がついて色が分かりづらいことも多く、慣れるまでは下記マガンとの識別に注意。
大きな体も特徴的で、慣れれば通常迷うことはないが、稀なハイイロガンとの識別には特に注意。
ヒシクイやその他の亜種との識別については下記「分類と亜種について」の項を参照。
オオヒシクイ/ヒシクイとマガンとの識別
マガンは嘴がピンク~オレンジ色で、成鳥では嘴基部周辺に白色部があるため識別は難しくない。
また、マガン成鳥では腹部にオオヒシクイ・ヒシクイにはない黒斑が出ることが多い。
ただし嘴基部の白色部と腹部の黒斑は個体差が大きく、また幼羽ではこれらが出ないため注意。
また、亜種オオヒシクイはマガンより明らかに大きいため識別しやすい。
一方で亜種ヒシクイはマガンと近い大きさのため、嘴が見えないような状況では注意が必要。
分類と亜種について
いくつかの亜種が認識されているが、変異はしばしば連続的で明瞭に分けられない場合も多く、野外観察における亜種識別は慎重に行う必要がある。
本種(ニシヒシクイA. fabalis)とヒシクイA. serrirostris、コザクラバシガンA. brachyrhynchusの3種については文献により扱いが異なり、すべて1種とする説もある6)。
特にニシヒシクイとヒシクイの2種については遺伝的な分化が不十分で、形態的にも連続的であるため同種として扱うのが適切であるとの指摘が最近になってもなされている7)。
日本産鳥類目録第7版8)においてもオオヒシクイとヒシクイは同一種の亜種として扱われている。
以下にIOC ver12.19)における本種、および近縁なヒシクイA. serrirostrisの亜種を一覧で示す。
なお、亜種の和名については江田ら(2011)10)の記述に従った。
ニシヒシクイ(Taiga Bean Goose)の亜種
亜種名 | 繁殖分布 | 越冬分布 |
---|---|---|
ニシヒシクイA. f. fabalis | スカンジナビア~シベリア北中部 | ヨーロッパ中部・南部、アジア南西部 |
ニシシベリアヒシクイA. f. johanseni | シベリア西部 | アジア中部・南中部 |
オオヒシクイA. f. middendorffii | シベリア東部 | 中国東部、朝鮮半島、日本 |
ヒシクイ(Tundra Bean Goose)の亜種
亜種名 | 繁殖分布 | 越冬分布 |
---|---|---|
ロシアヒシクイA. s. rossicus | ロシア北部、シベリア北西部 | ヨーロッパ西部・中部、アジア南西部 |
ヒシクイA. s. serrirostris | シベリア北東部 | 中国、朝鮮半島、日本 |
各亜種の大まかな繁殖分布はこの図のようになっている。
ユーラシア大陸の北側(‘Tundra’)の西寄りにロシアヒシクイrossicus、東寄りにヒシクイserrirostrisが分布している。
また、南側(‘Taiga’)の西寄りにニシヒシクイfabalis、東寄りにオオヒシクイmiddendorffiiが分布している。
同じ亜種でも分布が東に向かうにつれて体が大きくなる傾向がみられるというが、これについては遺伝子浸透というよりも単純に環境による差ではないかと推測されている。
すなわち、マガンで例が知られているように、繁殖地や越冬地の気温が低いほど、また渡りの距離が長いほど体サイズが小さいという傾向である11)。
体サイズの順序は大まかにオオヒシクイ > ヒシクイ > ニシヒシクイ > ロシアヒシクイ > コザクラバシガンといった具合である(ただしかなりのオーバーラップがある)。
国内に飛来する亜種について
日本に飛来するものはほとんどが亜種オオヒシクイと亜種ヒシクイとされる。
それぞれの個体数は2019年/2020年のシーズンでオオヒシクイ約7900羽、ヒシクイ約1000羽と推定されており3)、オオヒシクイのほうが個体数が多い。
それぞれの渡来場所は以下の通り1)。
- オオヒシクイ:サハリン・北海道経由か千島・北海道東部経由で日本海沿いに琵琶湖まで南下
- ヒシクイ:カムチャツカ・北海道東部経由で宮城県北部まで飛来
また、山陰地方(出雲平野)に渡来する個体群についてはオオヒシクイともヒシクイとも異なる特徴を持っていることが知られており、最近の調査で中国経由で渡来する別系統のものである可能性が指摘されている(下記参照)。
なお、日本産鳥類目録第7版にはこれらに加え、亜種ヒメヒシクイの記載がある(後述)。
亜種ニシヒシクイ fabalis
亜種オオヒシクイに近縁な亜種。
オオヒシクイよりも西側に分布する。
オオヒシクイよりも体・嘴が小型で、嘴の側面に見られる’Grinning Patch'(グリニング・パッチ)の高さも相対的に低い11)。
また、嘴の黄色部は前後に広い個体が多く、個体差はあるものの嘴の基部付近まで達することが多いようである4)。
さらに、嘴基部周辺にマガンやサカツラガンに見られるような白色部が認められる個体も多く、場合によってマガンにも似て見えるらしい4)。
国内においても未報告ながら、本亜種に近い嘴の模様を持つ個体が観察されているようである。
亜種ヒシクイ serrirostris
亜種オオヒシクイよりも北側に位置する亜種。
IOC12.1ではオオヒシクイなどとは別種になっている(上記参照)。
オオヒシクイよりも体サイズが小さく、嘴や頸も太短い。
国内での野外識別においては、マガンよりもわずかに大きい程度の体サイズであることが1つのポイントとなる。
この写真の右の個体は、左のオオヒシクイに比べて頸や嘴が太短く、体サイズも明らかに小さい。
また、嘴と額のなす角度がオオヒシクイよりも急であることが分かる。
外見から断定することはできないが、亜種ヒシクイに相当する個体である可能性が高いと考えられる。
亜種ロシアヒシクイ rossicus
亜種ヒシクイに近縁な亜種。
ヒシクイよりも西側に分布する。
ヒシクイやニシヒシクイよりも体サイズは小さく、嘴は太短い傾向11)。
また、嘴先端付近の黄(オレンジ)色部は安定して小さく4)、ヒシクイに似る。
国内でしばしば話題になる「ヒメヒシクイ」は本亜種、もしくは本亜種と他亜種との中間個体に該当する可能性がある。
国内での野外識別においては、亜種ヒシクイやマガンよりも小さい体サイズであることが1つのポイントとなると考えられる。
亜種ニシシベリアヒシクイ johanseni
IOC12.19)では亜種ニシシベリアヒシクイA. f. johanseniが認められている。
本亜種はシベリア西部の森林地帯に分布し、ニシヒシクイとオオヒシクイの’移行帯’に相当する分布を持つとされるが、そのような移行帯の存在自体も含めて有効性が疑問視されているという11)。
形態的にはニシヒシクイに似るが、嘴の黄色部が少なく体サイズが大きいなど、両亜種の中間的な見た目となるとのこと6)。
亜種ヒメヒシクイ curtus
日本産鳥類目録第7版8)では亜種ヒメヒシクイA. f. curtusの記載があるが、IOC12.19)では認められていない。
本亜種は中国陝西省の個体に基づいて記載されたもので、ロシアヒシクイとヒシクイの中間的なものとされるが、日本以外では近年あまり使われていない6)。
本亜種を認めない場合、日本で観察されている亜種ヒシクイよりも小型の個体は、ロシアヒシクイもしくはロシアヒシクイと他亜種の中間個体に該当すると考えられる。
山陰地方のヒシクイ類について
山陰地方の出雲平野に飛来するヒシクイの仲間は、形態的に変異が大きく、亜種ヒシクイともオオヒシクイとも判断のつかない亜種不明の個体群とされてきた。
発信機による調査では、春に出雲平野から北上したヒシクイが日本海を縦断し、中国東北部を経由してロシア極東へ渡った例が知られている12,13)。
これは、従来カムチャッカ経由で渡るとされてきた亜種ヒシクイ・オオヒシクイとは異なる渡りルートである。
また、脱落羽毛のミトコンドリアDNA解析からは、出雲平野の個体群はオオヒシクイの系統に含まれるとの結果が出ており、母系的にはオオヒシクイに由来する個体が含まれていることが示された10)。
形態的には亜種ヒシクイに近く感じられる成鳥。
同じ群れにいた別の成鳥個体。
同じ群れにいた幼鳥。
特に雨覆の幼羽が分かりやすい。
同じ群れにいた別の幼鳥。
オオヒシクイとヒシの実
琵琶湖の湖北地方などでは、和名の由来となった「ヒシの実」を食べるオオヒシクイの様子が観察できる。
国内のガンカモ類のうち、棘があり硬いヒシの果実を食べることができるのはオオヒシクイのみであると考えられている14)。
ただしヒシの実しか食べないわけではなく、マコモの地下茎が主食となっている地域もある15)。
オオヒシクイは亜種ヒシクイよりも大型で首が長いため、水深のある場所での採餌に適していると考えられる1)。
実際に亜種ヒシクイは湖沼ではあまり採餌せず、ヒシの実を食べる行動も確認されていない14,15)。
ギャラリー
頭を上げて警戒するオオヒシクイの群れ。
農耕地で採餌するオオヒシクイの群れ。
湖沼だけでなく地上でも餌を探す。
一般的に警戒心は高く、近寄るのは難しい。
文献
1)桐原政志・山形則男・吉野俊幸 2009. 『日本の鳥550 水辺の鳥 増補改訂版』文一総合出版.
2)James A. Jobling 2010. Helm Dictionary of Scientific Bird Names. Christopher Helm.
3)Li C., Zhao Q., Solovyeva D., Lameris T., Batbayar N., Bysykatova-Harmey I. et al. 2020. Population trends and migration routes of the East Asian Bean Goose Anser fabalis middendorffii and A. f. serrirostris. Wildfowl Special Issue 6:124-156.
4)Lars Svensson, Killian Mullarney, Dan Zetterström 2009. Collins Bird Guide 2nd Edition. HarperCollins Publishers.
5)Jeff Baker 2016. Identification of European Non-Passerines. Second Edition. British Trust for Ornithology.
6)Ruokonen M., Aarvak T. 2011. Typology revisited: historical taxa of the bean goose-pink-footed goose complex. Ardea 99(1):103-112.
7)Ottenburghs J., Honka J., Müskens G.J.D.M., Ellegren H. 2020. Recent introgression between Taiga Bean Goose and Tundra Bean Goose results in a largely homogeneous landscape of genetic differentiation. Heredity 125:73-84.
8)日本鳥学会 2012. 『日本鳥類目録 改訂第7版』 掲載鳥類リスト.http://ornithology.jp/katsudo/Publications/Checklist7.html
9)Gill F, D Donsker & P Rasmussen (Eds). 2022. IOC World Bird List (v12.1). doi : 10.14344/IOC.ML.12.1.
10)江田真毅, 嶋田哲郎, 溝田智俊, 小池裕子 2011. 脱落羽毛の遺伝的解析からみた日本で越冬するヒシクイ Anser fabalis の亜種区分. Strix 60(1):100-104.
11)Ruokonen M., Litvin K., Aarvak T. 2008. Taxonomy of the bean goose–pink-footed goose. Molecular Phylogenetics and Evolution 48:554-562.
12)(財)山階鳥類研究所 2010. 出雲市で越冬するヒシクイが中国のハンカ湖に到着. https://www.yamashina.or.jp/hp/p_release/p_release.html#2010 2022/3/27閲覧.
13)(財)山階鳥類研究所 2013. 鳥類標識調査 仕事の実際と近年の成果 / ヒシクイのルート解明. https://www.yamashina.or.jp/hp/ashiwa/news/201007_hishikui.html 2022/3/27閲覧.
14)渡辺朝一, 村上悟, 山崎歩 2003. オオヒシクイによるヒシ属果実の採食. Strix 21:195-206.
15)渡辺朝一, 渡辺央, 山本明, 清水幸男 2008. 池沼におけるガン・ハクチョウ類の食物としてのマコモの重要性と種による採食方法の違い. Strix 57(2):97-107.
編集履歴
2022/3/28 公開
2023/12/5 画像追加・差し替え、山陰地方の個体群について追記、マガンとの比較画像追加
2024/3/3 分布図を差し替え
2024/10/21 識別の項の記述を修正